言葉を読む

自宅前に桜の木がありまして
リビングに座るとよく見えるのですが
昨日、ふと気づくと開花している!しかも結構たくさん!!
毎年、ほんのりピンクっぽくなってくるつぼみを見て
おおーそろそろかな なんて楽しみに観察していたのに
今年は桜の開花がいつかなと
ゆったり桜を観察する心の余裕がなかったのかな。
東京都公園事務所がお花見の自粛を呼びかけたらしいですが
それについて賛否両論、色々あるようですね。
確かに「花見を自粛してください」という一言だけを聞いたら
何でも自粛しちゃっていいのー?って反論も出るのでしょうけれど
ゆっくりとその一言を吸収して想像してみると
ニュアンスが変わってきます。
例年の花見の風景を思い出すと
昼から夜までゴザに座ってどんちゃん騒ぎ
電車のホームには酔客がふらふらし、
昼は道を塞いで大声で笑う御婦人方
夜に大声で騒ぐ若者〜中年花見客・・・
確かに今そんな気分には、なれません。
でも、桜の木の下でお弁当を食べて空と桜を見上げることを
自粛する必要はないと思います。
公園事務所もそれを自粛せよと言っているわけではないと思うのですよ。
節度を持った行動をして欲しいってことですよね。
そんなこと、ちょっと考えたらわかりますけど
ツイッターで、「花見自粛」というニュースを誰かがリツイートし
何でも自粛とは変だぞ! と第一印象だけで「変だぞ運動」が起こる。
ニュースの見出ししか読まない人も多く
見出しのみで反応してツイートする。
江戸時代の「ええじゃないか」のネガティブバージョンですかね。
昨日はエイプリルフールでしたが
ブログやツイッターで嘘を言う人が多かったですね。
昔の4月1日は、対面して嘘を言って
相手が信じたかなー というところを見計らって「うっそー」というのが面白い
そんな一日だったはずですが
今はほんの冗談が日本中、世界中を廻るから恐ろしい。
どこで誰が信じているか、嘘を付いている人にはわからないんですよ。
だから、「うっそー」っておどけて言うタイミングが分からなくなってしまう。
嘘をついている方は
嘘に決まってるじゃん って思って書いているのですが
読んでる人は、書いている人のことをよく知らないから
本当か嘘か判断できないんですよね。
よく読む、よく考えるというプロセスで
嘘かどうか、みえてくるかと思うのですけどね。
見出しだけ読んで怒りのツイートする人とちょっと似てるかな。
でもね、信じる人はそのソース(出所)を信頼してこそ、信じてしまうのです。
そこは怒りのツイートの人と違う所です。
昨日嘘を書いてしまった人は、早めにうっそーって言わないと
世界のどこかで信じている人がいるかも知れないですよ。
私が都知事になったら、エイプリルフールは対面式限定にします!
(マニフェスト)
私、神奈川県民だけどね
 


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